メニューに、本格的なコース料理とは別に、ア・ラ・カルトといった一品料理が載るようになったのは、昭和元年、1925年、横浜に「横浜ニューグランドホテル」が開業し、料理長にスイス人のサーリー・ワイルを招いてからのことでした。
S・ワイルは、フランス料理以外にもイタリア、スイス、ドイツ、ロシアなどの料理もメニューに載せました。ウインナーシュニッツエルや、ご飯のグラタン「ドリア」などは、今日でもポピュラーな西洋料理のメニューとして残っています。料理だけでなく、レストランにピアノを入れたり、楽団を入れるなど、なかなかのアイデアマンでした。
彼の働きは、昭和9年、1934年開業の支店の東京ニューグランドホテルとともに我が国のフランス料理の水準を高め、戦前戦後を通じて数多くの優れた料理人を育てました。と同時に、日本の料理人を世界に紹介し、世界中に認められるような機会を数多く与えてくれました。
横浜ニューグランドホテルではS・ワイルをサポートする日本人として、ここでも先の内海藤太郎が関西から呼び寄せられていました。