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日本のフランス料理の歴史9 太平洋戦争と戦後

昭和16年、1941年、日本は連合軍相手の太平洋戦争に突入し、料理人たちも戦地へと散りじりになりました。駐留軍の施設で働き、フランス料理への情熱を絶やすことのなかった者、戦火の犠牲になった者、S・ワイルは外国人ということで軽井沢に軟禁されたりと、それぞれの暗い時代でした。

長かった戦争は、多くの有能な料理人を失い、生き残った人々も食糧難のご時世では料理人としてまともな職業には就けませんでした。やむなく別の仕事に就き、そのまま料理界から離れてしまう人も多々ありました。

昭和24年、1949年5月になって飲食業を営んではいけないという飲食営業緊急措置令が解かれましたが、主要な職場となるホテルはことごとく進駐軍に接収されていました。開業もできず、コロッケやビーフシチューの屋台を引いて歩いた料理人さえいました。

昭和25年、1950年頃から徐々に世の中も好転し、再建や新規に開業する店も増えてきました。かつての名料理人も復帰し、田中徳三郎は東京會舘からパレスホテルの料理長に、フランスで18年間も修業していた志度藤雄は「メゾン・ド・シド」、「花の木」を開店しました。戦地から復員し、その後も進駐軍相手の職場でユルバン・デュポワやコルドン・ブルーの教科書を学び、刻々と復帰のチャンスをねらっていた小野正吉も、「アラスカ」、「コックドール」などで腕をふるいました。

昭和30年、1955年代に入ると、先のS・ワイルの仲介により、ヨーロッパの司厨士協会への加盟を機会に、日本の料理人が世界に向けて羽ばたくチャンスがやってきました。